美しき哲学の、美しき伝導

日本におけるダイレクト・セールス分野で、名門テタンジェとピーロート・ジャパンがパートナーシップを締結。そのスタートにあたって、当主ファミリーから輸出部長であるクロヴィス・テタンジェ氏が来日。ピーロート・ジャパンが展開する4アイテムと和食の饗宴の中、改めて、次代の名門を率いるクロヴィス氏の考え方と、テタンジェがもたらす幸せが日本で広がることへの期待を感じた。

クロヴィス氏…と氏をつけて書くよりも、若き世代の代表であり、数度その哲学をシェアさせてもらったということもあって、ここからは尊敬をこめて氏をはずしてクロヴィスと表記させていただく。

クロヴィスの初めての公式来日は2011年9月。テタンジェ料理コンクールにあわせて来日するというスケジュールはこれで4年連続となる。初来日の際、第一印象は「物静かな文学青年」だった。それが、シャンパーニュがもたらす幸せな世界、テタンジェの哲学とは?という、文化的な話になると饒舌に、その話は熱を帯びていった。細かい栽培や醸造、テロワールの話などは淡々とこなしていた。「そういう話は僕がする話ではないと思う。もっとテタンジェのシャンパーニュ、そしてシャンパーニュの美しい世界を感じてほしい」。初来日から、それは彼の変わらないスタンスだったように思う。

初来日時のクロヴィスの様子、プロフィールはこちら
(シュワリスタ・ラウンジ ブログ)

この日もやはり饒舌になるのは同じ話題だった。しかし、初来日以来、機会をいただいて毎回インタビューをさせてもらったが、その内容は、願望から少しずつ確信に変わってきたように感じる。昨年のインタビューで特に力強く語っていたのは、「これから」についてだった。
「テタンジェの伝統、シャンパーニュの伝統を守るためには、過去のやり方をすべて作り替えなければならない。実は伝統を守っていくことは、やり方を守ることではなく、生き残っていくためにはレヴォリューションと、イノベーションが必要」
「だから僕たち世代は、そのための努力をしていかなければいけない。FIFAとのタイアップや大胆なノクチューンのデザイン変更にしても、そのひとつ」
大意をいえば、伝統を守るための積極的なチャレンジは、彼と、彼の妹であり世界中をアイコンとして飛び回るヴィタリーの世代に課せられた使命である、と彼は決意を固めていた。

クロヴィス動画インタビュー
(シュアリスタ・ラウンジ 特集 聞き手:岩瀬)


シャンパーニュそのもの、その作品としても伝統と革新のせめぎ合いの中で変わっていく部分もあるだろう。今後はクロヴィスとヴィタリーも父に代わって作品そのものへのコミットが主な仕事になるかもしれない。その中でクロヴィスやヴィタリーが今、担うべきは、マーケットの拡大や最適化、テタンジェがあるシーンで広がる、幸せな世界の伝導ということになる。

今回、日本の新しいチャネルであるピーロート・ジャパンを通じてのダイレクトセールスに投入したアイテムにも、もちろんその哲学は見える。展開されるのは以下の4アイテム。

レアアイテムとしてマニアには人気のあった『レ・フォリ・ドゥ・ラ・マルケットリー』。テタンジェが所有する、優雅で、しかし壮大というよりはむしろ快活な空気感のあるマルケットリー城の名を冠するこのシャンパーニュは、その城の雰囲気そのままに、クラシカル、中世の古典的な舞踏会にタイムスリップして、デヴィッド・ゲッタやファレルが御姫様たちにステップを踏ませるような、心地の良い倒錯感。単一畑、30%使用されるオークの古樽に、55%のピノ・ノワール。すべてが重厚で重苦しいムードにさせるようなスペックが、しかし、素晴らしき軽快なステップとハーモニー、可愛らしさをまとってやってくる。テタンジェ家のルーツがオーストリアという話を聞いてしまうと、そこに浮かぶのは、もしかしたら?のマリー・アントワネット。名門がクラシックな世界から生み出した心地よくてかわいらしいカウンターパンチ。コルセットで締め付けているからこその可愛らしさとセクシーさがある。

マルケットリー城の様子
(シュワリスタ・ラウンジ取材)

2つめは、『ブリュット・ミレジメ 2006』。一転、白馬の王子様的凛とした切れ味。駆ける白馬が優しく艶やかな風を起こしながら、しかし振り下ろされる剣は必殺。その風穴には再び爽やかな風。多少のヴァイオレンスさは実は一本芯が通った骨格だからこそ、そこから生まれる濃厚な核のため。これもテタンジェらしいピノ・ノワールの解釈か。

そして『コント・ドゥ・シャンパーニュ ブラン・ド・ブラン 2005』と『コント・ドゥ・シャンパーニュ ロゼ 2005』。
すでに、シャンパーニュ好きの女性の間では美しいシャルドネのプレスティージュと言えば、こちら、という人気を誇る、テタンジェを代表するトップブランドであるブラン・ド・ブランは当然このラインアップに入ってくることは予測していたが、ロゼはまさかの登場。8年間の熟成期間中、その5%は4か月間、3年ごとに新調される新樽で熟成されるというこのわずかなこだわりが、美しいはずの表情に美しいカオスを引き起こす。冷やし過ぎているわけではないのに最初のアロマは静かでなにも感じさせてくれない。それが一口、テイスティングのお作法を破って、思い切って喉をごくりと鳴らして体内に滑り込ませた瞬間、圧倒的なランドスケープが脳内いっぱい、3Dを超えてその世界に放り込まれる感覚。広がるのは地平線の先の先まで広がる、野生と良く手入れが行き届いた花壇が混在する、あたり一面の花畑。黄、赤、白、緑、オレンジ、ブルー。カタカナも漢字も入り混じるカオスな花畑が、どこまでも高い青空の下に広がる。後ろは怖くて振り返れない。もしかしたら断崖絶壁か、現実の世界か。前だけを見たくなるアッパーな感覚。美しく澄みきったカオス。澄みきった奥の奥から感じるリアルな土と葉と茎の生命の躍動。貴族であるテタンジェ家のメンバー、それぞれが世界中を旅してきて心の中に捉えたエキゾチックなるアルバムを、飲むそれぞれの人が見せられるような、そんな効果があるのでは、とさえ感じてしまう。

もちろん、このシャンパーニュを生むテロワールやテクニックの話も掘り下げて聞きたいと思う。だが、これを堀下げて聞く相手も場所も時間も、ここではない。逆に言えばその話題の元になること。なぜ、このようなシャンパーニュを作ろうとしたのか?そして、テクニックではなく錬金術的な神秘性を纏いながらの話になってしまうが、なぜテタンジェという名門で生まれるシャンパーニュはこのようなシャンパーニュになるのか?それを感じたい。
クロヴィスが発する言葉、そのすべてが、テタンジェファミリーであるからこその言葉。

「マリアージュ?テクニカルシートに紹介しているよ。それよりも君が聞きたいことはこういうことだろう?最高のマリアージュは何と併せて飲むかじゃなくて、誰と飲むか、ってこと」
2011年、まだ初々しく大人しかったクロヴィスが、ウィンクしながら言った言葉。あらためてテタンジェファミリーが送り出すシャンパーニュとはなんなのか?をまた思い出す夜だった。

「キリスト教の伝導は、長い日本の歴史の中でも困難でした。でもシャンパーニュはみなさんを幸せにしながらこうして日本に広がっています」。
テタンジェならではの、伝導。メゾンそれぞれの哲学、そして日本とのかかわり。やはり、面白い。


クラシックを軽やかに

G.H.MUMM X ウェスティンホテル東京「ビクターズ」のコラボディナー。毎月、さまざまなシャンパーニュメゾンとの共催で行われている人気イベント、とは聞いていたが、この日のディナーで、その理由を存分に「味わった」。

ビクターズのフレンチは、一言で表すならば「クラシック」ということになるだろう。空間にしてもサービスにしても、もちろん料理にしても、クラシックであることは間違いない。でも、フレンチのクラシックという言葉にともすれば伴う、重苦しさはそこにはない。クラシックだが軽快。

 

蒸し暑い東京の夜。王道フレンチに王道ボルドー、そんな組み合わせは敬遠しがち。ご案内を受けた時には、正直、この時期に王道フレンチか…重いかな、とも思っていた。

 

救いはシャンパーニュ。MUMMの持つ、明るさ、健やかなエレガントさに、軽やかな色気。それなら重厚さもやわらぐかな、という期待。しかも、この日のラインアップは、ブランドアンバサダーであるアントニーさんの素敵なサマーギフトともいえるもの。『ミレジメ 2004』は、おそらく王道フレンチとの組み合わせを軽すぎず、重すぎず、きっと、大人の世界で彩ってくれるだろうし、『ルネ・ラルー 99』が味わえる、という喜びは、王道への多少の遠慮を忘れさせてくれる魅力的なインビテーションだった。

ところが、最初の一皿を口に入れた瞬間から、MUMMとビクターズのコラボの理由をはっきりと、喜びと共に理解した。そして、それは次第に共感へと変わっていく。

『シーフードとトマトの冷製スープ バジルクリーム』の健やかで明るいトマトの酸味が、重いクリームを感じさせないバジルの爽快感と軽やかな握手。これが『コルドンルージュ』の重さではなく高揚感の部分と一緒に楽しむと、広がるのは、夏の高原のテラス。ジャケットの肩のあたりがすーっと軽くなるのがわかる。

メニュー名だけみれば、その後も、重いクラシックの連続だ。前菜から『和牛のシールドのサラダ』魚は『シーバスのグリル』で、メインは『リー・ド・ヴォー』と『フォワグラ』の組み合わせと、これでもかのクラシック。だが、軽快。もちろん、シャンパーニュとの組み合わせは、その一因だろう。ロゼ、ミレジム、ルネ・ラルーと続くMUMMの世界がそこにあることで料理もエレガントに弾ける。しかし、いくらMUMMでも重厚すぎる料理ではその存在を中途半端なものにされてしまう。この日の料理は、クラシックだが軽やか。

 

クラシックと軽やかという言葉は決して相反するものではなく、夏の日本においては幸せな世界になる。わさびであったり、夏野菜であったり、柑橘であったり、香りと口に入れたときの食感や後味の余韻に、静かな爽やかさをもたらす、足し算、掛け算、引き算ともまた違う、シェフの軽快な計算に思わずほころぶ。ほころぶタイミングでMUMMが、またエレガントに弾ける。

MUMMの最高醸造責任者であるディディエ・マリオッティ氏には、幸運なことに3回のインタビューの場を与えてもらっているが、名門メゾンにあって、彼の感性はどこまでもコルシカ出身らしい明るさを伴っている。明るいといっても底抜けな楽天家でもなければ、常識知らずの風雲児というわけではない。MUMMの長年の伝統にのっとったうえで、自らの軽やかなセンスを取り入れて、MUMMの伝統をさらに長いものにしていくこと。

 

この日のクラシックフレンチも、シェフの、日本人的な解釈や、夏の日のジャケットの肩を軽くしてくれるようなセンスによって、逆に、クラシックの良さを引き立ててくれている。そう、クラシックを軽やかに。受け手もそれでいい。クラシックの新しい楽しさを発見することで、さらにクラシックの奥深い世界に惹かれていく。

MUMM以外にもさまざまなシャンパーニュの名門とのコラボで展開するフレンチディナー。お気に入りのシャンパーニュメゾンのフィロソフィー、世界観を、楽しく感じられる機会になりそうだ。


シャンパーニュ騎士団晩餐会

5月22日帝国ホテルにて、シャンパーニュ騎士団の叙任式&晩餐会が行われました。日本ではだいたい隔年で行われているこの会、今回は名誉オフィシエに北野武さんが選ばれるということもあって、いつになくメディアにも注目されていたようです。僕は前々回の叙任でシュヴァリエとなりましたので、新しいメンバーを迎えるのは2回目となりますが、回を追うごとに、とても良い意味でシャンパーニュが日常の近くに来たことを感じます。そしてなによりシャンパーニュを取り巻く人たちは明るく、お酒のある場を楽しめる人たちなんだな、という実感。シャンパーニュのPRをじわじわと。それが僕たちの役割でもあるし、そのためには、シャンパーニュの精神性、つまりとして人々を明るく楽しく幸せにするための脈々と受け継がれるストイックな技法とスピリッツを体現していきたいと思うわけです。この夜も良い夜でした。

先輩シュヴァリエの沢樹舞さんと、今回叙任の北野武さんと。シャンパーニュの場だからこその笑顔

アペリティフから素晴らしいラインアップ。プレスティージュ、マグナム…心地よい酔いの時間

晩餐会での素晴らしきキュヴェの数々。

同席のオペラ歌手の小川里美さんと。サロン02はマグナム

シュワリスタ・ラウンジメンバーと同席の方々と


G.H.MUMM elegant, however, cheerful

G.H.MUMMのエキスパート・レンジという新しいラインが登場した。ブラン・ド・ブラン、ブラン・ド・ノワール、ブリュット・セレクションの3アイテムの総称。本国フランスでは2011年にすでにローンチされているが、フランス以外でこの3アイテムが同時に展開されているのは日本だけだ。ブラン・ド・ブランについてはすでに日本で展開されており今回の2アイテムで、いよいよ揃い踏みだ。
この件についての最高醸造責任者ディディエ・マリオッティ氏の詳しいインタビューは3月中旬にはシュワリスタ・ラウンジにて掲載予定なのでそちらを見ていただくとして、ここでは、2月13日のディナーでの歓談、14日のインタビューでの余談の中で印象に残ったことなどを書いていこう。

ディディエさんとお話しするのはこれが通算4回目。そこでいつも彼が強調するのは、どのアイテムであっても「飲み続けられるシャンパーニュであること」だ。この飲み続けられるというのは、いつでも期待に応えられる品質を維持するということよりも、飲まれる方がその日、その夜、その時に飲み続けたいと思うこと、という意味が強い。例えば今回のエキスパート・レンジ。ブリュット・セレクションについていえば、5つの名高きグラン・クリュ~アヴィーズ、クラマン、アイ、ブジー、ヴェルズネイのアッサンブラージュだ。複雑で重厚なものを造ろうとおもえばいくらでも造れたのかもしれないが、彼の選択は、「飲み続けられること」。複雑さとエレガントな軽快さの両立が、このワインの到達点というディディエさんの狙い通りの仕上がり。「複雑さについていえば、ワインのエキスパートたちがテイスティングの場で感じてもらえればいい。普段登場する場面ではとにかく楽しくなってもらえればいい」。

引き合いに出したエピソードは…これはシュワリスタ・ラウンジでの記事をお楽しみに。

ブラン・ド・ノワールに関しても、個性が強すぎるということで醸造チームの中でも賛否両論あったという2002年のヴェルズネイを、10年間の歳月(うち6年が熟成期間)を「かなり辛抱して造った」という経過を経ての登場。これもヴェルズネイのピノ・ノワール全開!圧倒的なパワーがあふれ出す!的なワインになってもよいものを、「フルーツの圧倒的なパワーをトゥマッチにしない」ことに注力し、静かな世界観の中からじわじわと魅力を醸し出して、長く、いつまでも飲めるワインにした。僕自身のテイスティングコメントのタイトルは、「静寂の中のスペクタクル劇」なんてものにしたけれど、確かに彼がいうところの「暖炉の前で旧友同士で人生についての議論を戦わせる。ゆっくりと時間をかけて」というシーンが思い浮かぶ。

考えてみれば最初のインタビューから、ロゼも、コルドン ルージュも、ディディエさんは一貫して、ポジティヴな場面、ポジティヴなエネルギーで、とにかく飲み続けられるワインを造りたいという意思を発散していた。G.H.マムが勝利の瞬間に分かち合うシャンパーニュ(F1のポディウムはその象徴だ)であることを、醸造責任者は常に考え、体現している。「明日の心配は明日考える。皆さんに幸せになっていただくアイテムを造っているんだから自分がポジティヴじゃないとね」と微笑む。

「シンプルに考えるということはとてもポジティヴ。でも、それが難しい」。ふとディナー中にもらした一言は、この日のディナーの場であった『エスキス』の料理に対する賛辞ではあったけれど、きっと、それはディディエさん自身が毎日感じている苦悩の吐露だったのかもしれない。コルシカ出身ということがどこまで彼の発想に影響を与えているのかはわからないけれど、それでもなお、明るく幸せで飲み疲れないという気高くエレガントなシャンパーニュを造り続ける、その変わらぬアティチュードに、共感してしまう。尊敬すべきワインメーカーであると同時に、ディディエさんは僕にとってはその姿勢を共感できる尊敬できるクリエイターなのだ。

エキスパート・レンジは決して(財布という点含めて)入手しやすいシャンパーニュではないが、ポジティヴなエネルギーを体の隅々にまで行きわたらせてなおエレガントなシャンパーニュらしい幸せを体感できるアイテムであることは間違いない。世界最高峰の合法的な媚薬がベル エポック ロゼだったり、ドン ぺリニヨン エノテークなら、こちらは世界最高レベルのエレガントなエナジードリンク。ディディエさんとグラスを傾けながら話す時間は、自分の明日へのエネルギーチャージ。とにかく気に入ってしまったブラン・ド・ノワールを飲む時間も、おそらく同じことになるのだろう。


New discovery my top10 wine in 2013

2013年、新たに出会ったワインはざっと1500種。プラコップにちょっとだけ注がれたものからボトル1本開けてしまったものまであるので、おそらくフルボトル換算でいけば150本分程度、ということになるだろうか。そのほかすでに出会ったもののお気に入りの再飲(たとえばニュージーランドはマルボロのホワイトヘヴンや、シャトー・ダングレスなどは何本開けただろうか…)や、ビール、日本酒、焼酎、ホッピーにハードリカーなどなど。今年も丈夫な肝臓と腎臓を分けてくれた親には感謝(微笑)。
さて、今年のトップ10ワイン。昨年はデイリーレンジ(3000円以下)の心地よいワインという基準だったが、2013年は、まず価格の上限を取っ払った。とはいえあくまでも「今の自分を幸せにしてくれる」範囲でのコストパフォーマンスは重視。今回2万円代のものもあるが、あまり芸術性だとかは重視していない。基準は、「そのワインで、自分の時間、集った人が幸せになること。そして、生産者やその土地に想いを馳せて、ちょっぴり感動できる。そして、もう一度飲みたいと思える余韻と財布」。
今年のトップ10ワインのタイトルは、「新発見」。日本語としては「まだ未定」的な、発見なんだから「新」はおかしいだろう、というところなのだけれど、「新しい気づきを与えてくれたワイン」という気持ちを込めた。それは見知らぬ国やエリアだったり、ワインの楽しみ方だったり、組み合わせだったり、それぞれ今回選出したワインには幸せな発見と、今までの自分のワインの常識に対する強烈で優しい方向転換もあった。
それは愛好家、メディアという目線に加えて、1月~6月まで南青山の金曜限定ワインバー店長という経験と、7月からの白金高輪14のワイン会運営という2つの体験がもたらしたものだっただろう。人が幸せになって、笑顔で、でもときに神妙な語り口で生産者やその国の文化を語る。ワインにお金を払うっていうのはどういうことなのか、そのワインで幸せになることってなんなのだろうか、という気づきと発見があった1年だったように思う。
そこで、あえて、ワインにとって重要なヴィンテージの違い、という評価軸ははずしてみた。例えば素晴らしきベル エポック06、ウニコ69などの作品も、はずすことにした。最高のワイン10ではなく、僕にとっての新しい気づきをさせてくれた、今年出会ったワイン10ということになる。必然的に既存の著名産地よりもエキゾチックな産地が多くなるが、これも、ある意味、僕と2013年のワインとの関係を表したものといえるだろう。とここまでワイン10と書いたが、どうしても絞り切れず、シャンパーニュ/スパークリングは別に5本を選出(別記事にて)。ここではスティルワイン10本を選出した。
自分を振り返るとともに、ご覧いただいた皆さんにもぜひ試していただきたい10本です。
(記載順に特に意図はなく順位というわけではありません)


ハート&ハンズ
バレル・リザーブ ピノ・ノワール 2010
》ニューヨーク州ワインの洗礼でありその深みにはまるための通過儀礼的、いや門番的アイテム。ピノ・ノワールの常識を疑いたくなる凄みを纏った静かなるヴァイオレンス。美しさとその中で燃え盛る欲望がもたらす心をかき乱す余韻。アメリカ文学、ポール・サイモンのダークサイドなリリックとサウンドに、ブルース・スプリングスティーンのリヴァーが聞こえながらも、どこまでもジョージ・ウィンストンのピアノの調べ。混乱が快感に変わる。

シルヴァン・ロワシェ
ムルソー 08
》ブルゴーニュのブライトスター。ロックミュージックで言えばowl cityの儚い、爽やかさ。内省と社交性、頑固と寛容、その相反する要素が、静かに優しく溶け込んだ、ふくよかで後味がきれいで、どこかキラキラ感があって、それでもしっかり芯がある。濃すぎるムルソー、重すぎるムルソーから、ローファイでシンプルなムルソーも、悪くない。美男子ムルソー。

ドメーヌ・キンツレー
リースリング グラン・クリュ ガイツベルグ 09
》アルザスの土地の複雑さを改めて思い知らせれた静かなる刺客。震えるぐらいにピュア。ドライではなくクリーン。柔らかい柔らかいピアノ線。畑のほとんどが斜面で、手作りという選択肢しかない状況の中、若木古木、異なる土壌などのミクスチャーなどありったけの「こうあるべき」を注ぎ込む。そこから生まれる、アルザスのリースリングという誇りと凄みと、自然さ。作り手の優しいルックスからは想像できない、凛。

フレッド・マイヤー
リースリング テラッセン 2011
》オーストリアの首都ウィーンから西北西へ70km。ランゲンロイスという街。そこから生まれるリースリングは決して素朴で素直なものではなく、エレガント。しかも、骨太。ジョージ・クルーニーがボタン2つ外して大ぶりなグラスで煽る。そして女性にウィンク。チャーミングさと男臭さ、キラキラなふくよかさと、男らしいスーツが同居するモダンで社交的なリースリング。キンツレーとは真逆の世界観にリースリングの凄みを感じる。夜、都会で。

KEO
アフロディーテ
》キプロスの地品種ジニステリ。初めての出会いはまさに女神との謁見。しかしこの女神は、薄着。でも清潔。太陽と青い空と青い地中海、そして白い壁と白い雲。素朴ではつらつ。しかし女神の高潔と純潔。明るく静かな余韻がどこまでも爽やかに広がる。しばらくして感じるのは、素朴で高潔だからこそにじみ出る官能。平たい言葉で言えば十分に「エロい」。熱い太陽がもたらしたエネルギーが爽やかな青と白の中に確かに、躍動している。ジャケットも秀逸。

ドメーヌTourelles
ロゼ 12
》レバノンの伝統的ワイナリーのロゼ。シラー、カベルネ・ソーヴィニヨン、テンプラニーニーリョ、サンソー。レバノンワインについては当コラムでも紹介したが、やはりこのワインも口当たりの優しさと深みと優しい幸せなボリューム感がある。ほのかな酸味がドライというよりも、自然な柑橘系のフレッシュさをもたらしてくれる。華やかな白いテーブルクロスではなく、家族や仲間、親友、旧友との休日の午後に。

パスカル・トソ
マルベック 10
》アルゼンチン、メンドーサ。ここから生まれるマルベックは、フランス南西部のそれとは異なる世界。そして、主要赤ワイン品種に寄り添いながらも何かが違う。違う何かは、やはりアンデスの空気と日差しと雪解けがもたらすグリーンでクリーンでほっこりする世界なのか。飲み疲れをしない、アタックはきつすぎない、でも、グラス一杯ごとに確かな重厚感がある。何本も飲めない、と言いながら2本飲んでしまう、魔力。メンドーサ、今年改めて恋に落ちたテロワール。

デンビーズ・ワイン・エステート
ローズヒル ロゼ 2010
》ワインの常識で言えば英国はマーケットであり生産地ではない。その常識を軽やかにあざ笑うかのような、見事な売れ線ワイン。なるほど目利き、ワイン商の国、英国だからこそ到達した、ロゼのメインストリーム。批判しようにも批判のしっぽをつかませない、UKロックよりもUKポップスの系譜。問答無用にテイクザットであり、ワンダイレクション。つまらない、も確信犯。そのポップスの凄みを感じたら、抜けられない。可愛らしく、飲みやすく、華やかで、嫌なところが見つからない。ロゼってこういうことだよね?はい、その通りです。

ジェラール・ベルトラン
カリニャン ヴィエイユヴィーニュ
》良く知った、良く普段から飲むラングドックの人気ワイナリー。キャラクターも良くわかっているし、もう、ここにそれほどの発見があるとは思わなかったのだが…カリニャン100、しかも古木。作る意味があるとは全く思えないワインが…化けた。カリニャン、ごめんなさい。ラングドックの古木、ふーん←ごめんなさい。大手の生産者だからこその閃きなのか。ヴィエイユヴィーニュの良さをカジュアルに、気軽に楽しめるという、提案。ラングドック、カリニャン、古木。この組み合わせ。痛快、にんまり。

ファヴィア エリクソン ワイングローワーズ
カベルネ・ソーヴィニヨン
》今年、かなりのワインを飲みながら、もしかしたらもっともカベルネ・ソーヴィニヨンを飲まなかった1年だったかもしれない。加齢なのか体力なのか…知らず知らずに避けていたのかもしれないが、そんな1年に、ちょっと待ちなさい、と肩を叩いてくれたのがナパ・ヴァレーだったとは…。ミネラル感、美しい酸が溶け込み、へヴィーだけれども気分までへヴィーにさせない。明るくもない暗くもない、飲んだ瞬間は、何も感じない。が、胃袋まで落ちた後に全身に訪れる、「俺、今、ワインを飲んでいる!」という実感。へヴィーだけれど浮き立つ。ロックミュージック必須。レッチリのミドルグルーヴと、REMの乾いたせつなさ。交互に聞きながら目を閉じて、もう1杯。もう2杯。